原爆ドーム東側で”原民喜”詩碑の移設工事
中国新聞に掲載されました。
お墓の大和では、墓石以外でも石材工事なら色々やっていますよ‼
完成です。世界遺産の原爆ドーム周辺も工事後整備されました。
専門学校のモニュメント設置工事
三次の専門学校のモニュメント設置工事です。
サツキの植込みの中に基礎工事を行い、下台を付け、その上に石の彫刻であるモニュメントを設置しました。作品を作成された彫刻家は、愛媛県松山市を拠点とする石彫刻家の馬越正和先生の作品です。
広島県廿日市市の速谷神社楼門ペンキ除去工事
工事の様子が西広島タイムスにも掲載されました。
<記事より>
【廿日市市】楼門(ろうもん)をはじめ境内の目立つ場所に油性のペンキを掛けられた速谷神社(廿日市市上平良、櫻井正弥宮司)をきれいにしようと21日・22日の両日、地元広島市西区田方2丁目の墓石店「お墓の大和」(和崎伸社長)がボランティアで除去作業に打ち込んだ。専門である石の部分の汚れに取り組み、石灯ろうや国旗掲揚台などの汚れは事件のあった4日から数えて十八日ぶりに、本来の姿を取り戻した。
作業に当たったのは、同店の和崎代表と従業員二人。表面につやのある部分のペンキは、はく離用の液体をかけながらカッターナイフの刃ではぎ落とし、細かな凸凹で表面を仕上げている部分ではサンドブラストと石のみを使って削り取っていった。
普段は墓石表面のこけや汚れを落とすことはあっても、さすがにペンキ汚れを落とすことはないという。こけなどと違い、べっとりと付いたペンキ汚れは石の凸凹に浸透しているようで、作業しながらも「取れん」と苦労した。「物が物だけに神経を使う」とも。
ボランティアを申し出たのは、同事件の報道を知り心を痛めたため。「本職として何かできないかと感じたし、神様には日ごろお世話になっとるけぇね」と笑う。削った箇所はどうしても白くなるが、なるべく白い部分を増やさないように、元の風合いを残すようにと気を配った。
同神社は、「非常にありがたい」と感謝する。残るは看板と楼門・斎館など。看板は復旧の目処が立っているが、楼門などの木の部分には「削っても液で溶かしても元の色が失われるし」と困難さをにじませるが、10月12日(木)の例大祭での復旧を目指す。
綺麗になりました‼
被爆動員学徒慰霊慈母観音像修繕工事
広島市内の旧制中学・女学校生徒の遺族有志により、
昭和41(1966)年7月に建立されたものです。
当時市内には21校の旧制中学、女学校がありました。
原爆死没動員学徒6000余名のうち、氏名のわかった約4,000人の氏名を刻んだネームプレートがこの築山内に
おさめられており、その上に高さ2メートルの観音像が立っています。
劣化した土台のコンクリートが剥がれ、積み上げられた石垣も崩れかけ、危険な状態でした。
コンクリートの安定を良くするため金網で覆い、その上から綺麗に固めました。
石垣の隙間もコンクリートで埋め、色あせた文字には新たに色を入れました。
敷地のデコボコも真砂で整え、芝生の苗を植えました。
これからは安心して、近くでこの慈母観音像を拝み、平和への願いを皆で語れる場所になるでしょう。